記憶の汀

~大学職員が綴るとりとめのない日々のこと~

家計簿「Zaim」を使ってみた

みなさん、こんにちは。

お久しぶりです。

 

寒くなって乾燥しているからでしょうか、喉と鼻の調子がいまいちです。

早く治るといいな・・・。

 

さて、そろそろ年末に近づいており、今年の我が家の決算をとりまとめる時期になってまいりました。・・・と言っても、一人住まいなので大したことはないのですが 笑

 

今年はノートPCの買い換えなどイレギュラーな大型出費が数件あったこと、超過勤務手当が減少したこと、買い食いの頻度がやや多かったこと等により、当初の貯蓄見通しからマイナス修正をせざるを得ません。

 

このままではいけないと思い・・・

 

学生時代から使ってきた「うきうき家計簿(フリー版)」から「Zaim(無料会員)」へ乗り換えをしてみました。

今までは買った物を家計簿に入力して月単位で出費を確認していたのですが、

Zaimではあらかじめ1ヶ月の予算を設定し(自動的に週単位・1日単位の予算が表示される)、その範囲内でやりくりをするという発想になります。予算管理という考え方が強い家計簿であると実感しています。さすが「財務」笑

 

そして何よりも、Zaimではスマホでレシートの写真を撮って読み込ませることが可能で、これによって品目や金額を入力するという手間を省くことができます。

面倒なことは続かないので、これは私にとって大きなメリットです。

家計簿はできるだけコスト(利用料金・時間)をかけずに管理したいので・・・。

 

細かな入力ミスや若干の入力漏れは許容して、9割程度の精度で運用できたらと思います。

 

司書:レポート・科目終末試験・成績のこと〔司書2〕

みなさんこんにちは。

 

これから司書の通信課程を考えている方にちょっとした情報を・・・。

私も受講前にいろいろネットで情報収集をしたので、その恩返し(?)を。

単位取得について私が受講した近畿大学の例です。

 

1つの科目の単位を取得する基本的な流れは以下の通りです。

0.計画を立てる

1.テキストの熟読

2.レポートの提出&合格

3.科目終末試験の受験&合格

 

なお、レポートは一度提出してあれば、合格をいただいていなくても科目終末試験を受験することができます。(もちろん、単位取得にはレポートと科目終末試験の両方の合格が必要になります)

 

0.計画を立てる

生業を持たない大学生はいざ知らず、社会人は仕事や家事でなかなか忙しいものです。

だからこそ、勉強の見通しをつけることは大切でしょう。

とくに近大司書課程では、科目終末試験の受験申込期間などがきっちりと決まっているため、受験の機会を逸することなく効率的・戦略的に学習を進めていくことが必要です。(1年間で無事に修了するためにも・・・)

 

私は勉強を始める前にエクセルでさくっと全体のスケジュールを作りました。こうして可視化しておくと勉強の進捗具合が一目でわかりますね。

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全体の勉強スケジュール

 ※似た科目がいくつかあって入力するのが面倒だったので、VLOOKUPを使いましたが”該当なし”の欄はエラーが出たまま 笑・・・あくまでも自分用スケジュールなのであまり手の込んだことはする必要はないですよね。

 

1.テキストの熟読

司書の受講開始とともに大学からテキストが送付されます。履修登録したすべての科目が届いたのでずっしり・・・!

私は読みながら本質的なことが書いてある箇所に蛍光ペンでラインを引いていきました。

難易度やページ数にもよりますが、私の場合はだいたい2,3日で読み終えていたかなと思います。

 

2.レポートの提出&合格

テキストを読了したら、次はレポートの作成です。レポートは科目ごとにあらかじめ設題が決まっています。

テキスト以外にも参考文献が必要になるので入手して読みます。私は近隣の図書館で借りることが多かったですね。

レポートの作成のコツは、設題の意図をしっかりと汲み取ること。この一事に尽きるでしょう。

 

3.科目終末試験の受験&合格

レポートを提出すると、その科目の科目終末試験を申し込むことができます。

申込期間があらかじめ設定されているので、それまでにレポートの提出を済ませることが大事です(それがなかなか難しかったり・・・)

 

試験は試験会場に行って受験するものと、自宅のWeb受験の2パターンあります。

私はすべてWebで受験しました。

試験会場で受験する場合は、テキストとともに送付された問題集の中から出題されます。ですから、事前に自分で答えを作って暗記して試験に臨むことになるでしょう。

Webの場合は手元にテキスト等を置いて参照しながら解答できますが、どのような問題が出題されるのかは事前にはわかりません。(問題集の設問がそのまま出題されることはほぼないようです)

 

・・・いろいろ書きましたが、受講を開始したらぱっと見て自分にとっていちばん親しみやすいような科目から始められるのがよいでしょう。私は歴史が好きなので「図書・図書館史」からスタートしました。

 みなさまの健闘を祈念しております。

音楽と私と

みなさんこんばんは。

 

今日は壮大なタイトルですが、例の如くこじんまりとしたお話をしたいと思います笑

 

私はクラシック音楽が好きです。今夜もピアノ曲カッチーニアヴェ・マリアを聴いております。

この曲は、はじめて聴いたときに涙ぐんだものです。いまもこうして酒を飲みながら聴いているとじんわりとこみ上げるものがあります。大袈裟なようだけれども、人生の悲哀といったものをしみじみと感じるのであります。

美しい旋律、人生という時の流れ、残るものと散りゆくもの。

そういえばピアノ教室に通っていたわけでもないのに、なぜクラシックが好きなのだろう?と考えると、ひとつ思い当たることがあります。

 

私が中学生の頃、部活動とうまく折り合いがつかず、苦しんでいた時期がありました。

そのときに毎晩寝る前に聴いていたのが、フランツ・リスト作曲「愛の夢 第3番」やショパン作曲「ノクターンOp.9-2」だったのです。

私の精神の安住はこのわずか2曲の間だけだったと申しても過言ではありませんでした。

時に涙を流しつつ、時に励まされつつ、この2曲ばかりを聴いていました。

 

もともと幼少時にときおり、母が寝る前などにCDをかけていたものとおぼろげながら思い返すのですが、自ら聴きたいと熱望したのはこの時でした。

それ以後、私のなかにピアノの旋律が刻印されたような気がします。

 

私が好きな楽曲は、ピアノ経験者に言わせると「かなしい」曲が多いのだといいます。

しかし、”かなしい”ということは何も悪いことだけではないのです。

”かなしい”とは、悲しいとか哀しいとも書くし、あるいは愛しい、とも書くのであります。

また少々趣向が変わりますが、恋(こい)という言葉も、万葉の人々は孤悲(こひ)と書き表しています。ここに人生の悲哀があると思うのは私だけであろうか・・・。

そしてこの「悲哀」ということも、単に悲しむだけのことではないと私は逆説的ながらもしみじみと感ずるのである・・・。

立子へ-虚子より娘への言葉-

みなさんこんばんは。

俳句と短歌の間を行ったり来たりしている双海です 笑

9月ももう中旬なのですね。

 

いま、岩波文庫の『立子抄』を再読しています。

この本は、俳人 高浜虚子が次女である立子(たつこ)の主宰する俳句雑誌『玉藻』に寄せた文章を集めたものです。

昭和5年の創刊号から虚子が亡くなるまで実に30年もの間書き続けられました。

 

本書、学生時代に古本店にて購入、一読して深い感銘を受けた1冊です。

読み終えてから実家に送ってしまったので、以後手元に置いていなかったのですが・・・

先日、出張で早稲田界隈へ赴いたときに、通りの古本屋で購入しました。

200円也。コーヒーを飲むよりも滋養があって安上がり 笑

 

お店のご主人に「出張でこちらまで来たついでに立ち寄りました。学生時代もこうして古本を買ったことを思い出します」と告げると、「あぁそうでしたか。うれしいですね」と相好を崩されました。

最近は本がめっきり売れなくて同業者もどんどん店を畳んでいます、とも。

早稲田では、飯島書店・五十嵐書店がとくに好きでしたね。どちらのお店も今回お邪魔しました。ご主人、お元気そうでうれしく思います。

 

若者の読書離れ、ということが時々言われますが、私は大人(社会人)も同じようなものだろうと思います。

若者も社会人も読む人は読んでいる、読んでいない人は読んでいない。それだけだと思います。

これに限らず、いわゆる世代論という代物は疑ってかかるべし。これはちょっとした生活の知恵です。

これだけ娯楽が多様化している現代にあって、読書という-時として精神の緊張を伴う-営為の地位が相対的に低くなっていくことは仕方のないことかもしれません。

また、娯楽ではなく「修養」としての読書という考え方もありますね。

たとえばニーチェを読んでいなかったら「なんだお前、学生のくせにまだ読んでねぇのか!」と 笑  まあこれは戦前の旧制高校などの話で、現代では通用しないのでしょうね。北杜夫澁澤龍彦など多くの文筆家が書き残していることです。

 

さて、『立子抄』ですが、これを再読しているときに有島武郎の佳品『小さき者へ』や森鴎外の娘さん(小堀杏奴)が父を偲んで書いた『晩年の父』などを思い出しました。

『立子抄』や『小さき者へ』は、父が子を思うもの。

一方で、『晩年の父』は子が父を思うもの。

文学とは小説だけではない。これは大事なことだと思います。

 

本書は、『玉藻』の創刊号に虚子が寄せた「『玉藻』を出すについて」という次の文章から始まっています。

 「立子、お前に雑誌を出すことを勧めたのは全く突然であった。(中略)お前は父さんの傍で少しの間仕事を手伝っていた。自然俳句というものに親しむ機会がお前の他の兄弟姉妹よりも多かった。従ってお前のその方面の才能を少しばかり知ることが出来た。お前の俳句は筋の正しいものであることがわかった。これは父として偏っていうのではない。(後略)」

毎回1~2ページほどの短い文章ですが、娘を思う虚子という人間のあたたかさが伝わってくるように思います。

読みながら私も虚子に励まされたような気がします。

 もうね・・・なんというか胸が熱くなる感じ。親が自分の理解者であるという境遇はほんとうにありがたいことであるし、自分のいちばんの支えになるのだと思います。

最後のよりどころですね。それは、ひ弱な意味ではなくて、そこから力強く前へ前へ独力で進んでいく感じです。

 

黒猫ワイン:シュヴァルツカッツを飲みながら・・・。ではまた。

司書課程を修了しました〔司書1〕

みなさんこんにちは。

少しずつ秋めいてきましたね。

 

さて、去年の12月から司書の勉強をしています。

このたび無事に修了することができたので、少しばかり備忘録を残しておこうと思います。

司書資格を取ろう!と思い立ったのが出願締め切り間際で、たしか願書の手続きをしたのは去年の11月下旬だったと思います。

書類上の入学時期は10月1日になりましたが、手続きがあったので勉強開始は12月になってしまいました。標準修業年限は1年間。24単位を取得しなければなりません。

 

出勤前、昼休み、残業後、休日・・・勉強漬けの日々と言っては大袈裟ですが、夢中になって取り組んだことは確かです。

勉強を始めた頃からちょうど仕事も繁忙期に入りました。いま振り返ると、繁忙期のほうがより勉強に集中できていたと思います。

不思議なもので、やはり時間のない中で切羽詰って、でもやらなくちゃいけなくて・・・という環境が却ってよかったのかもしれません。

仕事が落ち着いているときに受験した最後の科目がもっとも成績が悪くなってしまったのも・・・集中力や緊張感が完全に切れていたためだと思います。

 

先日、大学から修了証書が送られてきました。

やはりこうしてひとつ結果が出るということは嬉しいものですね。

 

私は近畿大学の司書課程(通信教育部)にお世話になりました。

資格所得に向けて勉強されている方、仕事や家事でお忙しいかと思いますが、粘り強く勉強をしていってください。応援しています。

 

萩の花咲くころ

みなさん、こんばんは。

9月に入りましたね。

 

秋はいろいろな草花が可憐な花を咲かせる季節です。

私たちも高い所からではなく、花一輪一輪の目線に立って親しみたいものです。

 

ここでは私の好きな萩について、俳句をいくつか交えながら秋の文学散歩と参りましょう。

なお、萩は『万葉集』にも集中第一と言われるほど多く詠まれた植物で、

その漢字は国字でもあります。草冠に秋と書くからにはやはり秋の草花の筆頭であったのでしょう。もちろん、秋の七草の一員でもあります。

 

萩咲くや生きて今年の望(のぞみ)足る  正岡子規 ※1

 

萩一つ咲きそめ露の置きそめて  高浜虚子 ※2

 

この萩のやさしさ いつも立ち止まる  虚子 ※2

 

 白萩の露のあはれを見守りぬ  虚子 ※2

 

子規の境涯を思い浮かべると、この句もより一層味わいが深まります。

作品はひとたび発表されたら作者から独立したものである、という考え方もありますが、作者の人生、為人(ひととなり)を知ることは、理解や共感をする上でやはり大切なことだと思っています。私はそういう読み方が好きです。

 

高浜虚子は、私の敬愛する俳人の一人です。

子規没後、五七五の定型に縛られない新傾向俳句が登場しましたが、

虚子は定型を守り、季語を重んじ、句は平明かつ余韻のあるものがよいと考えました。

そして、旧守派として俳句とは客観写生・花鳥諷詠の道を極めるべきと宣言。

虚子の平明という点に私は惹かれます。一句から広がる景が明るいですね。

 

 

※1:『子規句集』岩波書店昭和16年

※2:『虚子五句集(下)』岩波書店・平成8年  ※昭和21年~昭和34年の句を採録

 

「息が足りないこの世の息が」

皆さま、こんにちは。

もうじき9月になりますね。

 

先日、永田和宏著『歌に私は泣くだらう 妻・河野裕子 闘病の十年』(新潮文庫・2012年)を読みました。

以前単行本で読んでいたので、今回は再読になります。

 

著者の永田さんは歌人にして細胞生物学者(大学教授)。

裕子さんも歌人で、戦後の短歌界を牽引していった方です。

 

本書は裕子さんが乳癌の診断を受けてから亡くなるまでの切なくも美しい記録です。

そして、単に「美しい」と言うだけでは片づけることのできない、人生の実像があります。 

「短歌って何?」と言われたら本書を提示したい・・・そう思わせる一冊です。

 

夫婦そろって歌人という境遇。歌でのみ伝えることのできる心の機微。

服薬と精神不安。恢復と再発。限りある命とは、引き算の時間であるということ。

 

記事のタイトルは裕子さんが死の前日に残された最後の一首からお借りしました。

様々な歌人が辞世の歌を残していますが、私が今までに出逢った中でもっとも心を揺さぶられた歌でした。生まれながらの歌人だと思います。

 

私が短歌という言語藝術に本腰を入れて取り組もうと決めたきっかけの一つに本書の存在があります。

 

人生と文学が分かちがたく結びついており、書きつけた歌の1つひとつが人生を彩り、そして支えているということを深く考えさせられたのです。

 

人は死ぬ。されど歌は残る。