みなさま、こんばんは。
今日は小雨のなか、横浜の「港の見える丘公園」内にある神奈川近代文学館へ行ってきました。
企画展として没後20年になる批評家 江藤淳(昭和7-平成11)を取り上げていました。
私は、対談集を除くと単著としては『占領軍の検閲と戦後日本 閉された言語空間』くらいしか読んだことがなかったため、「どのような生涯を送った人なのだろう?」という好奇心もありました。
時系列順に資料が展示され、必要に応じて解説が施されており、その為人を知るには十分な企画展でした。
母 廣子の写真が展示されていましたが、なかなか凛々しく、海軍少将の次女ということにも合点がいく感じがしました。結核のため27歳で亡くなったそうです。
少年 江藤の喪失感を癒した詩人として伊藤静雄(明治39-昭和28)の「夏の終り」が紹介されていました。
彼の詩は青空文庫や岩波文庫で読むことができます。
やはり私は「わがひとに与ふる哀歌」の中の「曠野の歌」が忘じ難く記憶にとどまっています。
「わが死せむ美しき日のために
連嶺の夢想よ! 汝(な)が白雪を
消さずあれ(後略)」
一度読んだら忘れられないようなインパクトのある詩句でした。
さて、最愛の妻 慶子に先立たれた江藤は、自分が無意味に存在している感覚に襲われてしまいます。そして、軽い脳梗塞をおこして入院・・・。
そのような精神状況のもとで執筆された「妻と私」、そして絶筆となった「幼年時代」。
私はこれらの作品は未読なのでこれから読んでみようと思います。
「脳梗塞の発作に遭(あ)いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず」という遺書の中の一文がなんとも痛ましいものでした。
『閉された言語空間』のイメージしかなかったのですが、この企画展のおかげで江藤淳という人物の輪郭が見えてきた気がします。文学館の楽しみはこういうところにもあるのですね。