記憶の汀

~大学図書館司書のとりとめのない日々のこと~

萩の花咲くころ

みなさん、こんばんは。

9月に入りましたね。

 

秋はいろいろな草花が可憐な花を咲かせる季節です。

私たちも高い所からではなく、花一輪一輪の目線に立って親しみたいものです。

 

ここでは私の好きな萩について、俳句をいくつか交えながら秋の文学散歩と参りましょう。

なお、萩は『万葉集』にも集中第一と言われるほど多く詠まれた植物で、

その漢字は国字でもあります。草冠に秋と書くからにはやはり秋の草花の筆頭であったのでしょう。もちろん、秋の七草の一員でもあります。

 

萩咲くや生きて今年の望(のぞみ)足る  正岡子規 ※1

 

萩一つ咲きそめ露の置きそめて  高浜虚子 ※2

 

この萩のやさしさ いつも立ち止まる  虚子 ※2

 

 白萩の露のあはれを見守りぬ  虚子 ※2

 

子規の境涯を思い浮かべると、この句もより一層味わいが深まります。

作品はひとたび発表されたら作者から独立したものである、という考え方もありますが、作者の人生、為人(ひととなり)を知ることは、理解や共感をする上でやはり大切なことだと思っています。私はそういう読み方が好きです。

 

高浜虚子は、私の敬愛する俳人の一人です。

子規没後、五七五の定型に縛られない新傾向俳句が登場しましたが、

虚子は定型を守り、季語を重んじ、句は平明かつ余韻のあるものがよいと考えました。

そして、旧守派として俳句とは客観写生・花鳥諷詠の道を極めるべきと宣言。

虚子の平明という点に私は惹かれます。一句から広がる景が明るいですね。

 

 

※1:『子規句集』岩波書店昭和16年

※2:『虚子五句集(下)』岩波書店・平成8年  ※昭和21年~昭和34年の句を採録

 

「息が足りないこの世の息が」

皆さま、こんにちは。

もうじき9月になりますね。

 

先日、永田和宏著『歌に私は泣くだらう 妻・河野裕子 闘病の十年』(新潮文庫・2012年)を読みました。

以前単行本で読んでいたので、今回は再読になります。

 

著者の永田さんは歌人にして細胞生物学者(大学教授)。

裕子さんも歌人で、戦後の短歌界を牽引していった方です。

 

本書は裕子さんが乳癌の診断を受けてから亡くなるまでの切なくも美しい記録です。

そして、単に「美しい」と言うだけでは片づけることのできない、人生の実像があります。 

「短歌って何?」と言われたら本書を提示したい・・・そう思わせる一冊です。

 

夫婦そろって歌人という境遇。歌でのみ伝えることのできる心の機微。

服薬と精神不安。恢復と再発。限りある命とは、引き算の時間であるということ。

 

記事のタイトルは裕子さんが死の前日に残された最後の一首からお借りしました。

様々な歌人が辞世の歌を残していますが、私が今までに出逢った中でもっとも心を揺さぶられた歌でした。生まれながらの歌人だと思います。

 

私が短歌という言語藝術に本腰を入れて取り組もうと決めたきっかけの一つに本書の存在があります。

 

人生と文学が分かちがたく結びついており、書きつけた歌の1つひとつが人生を彩り、そして支えているということを深く考えさせられたのです。

 

人は死ぬ。されど歌は残る。 

 

 

「ぼくは詩を捨ててあなたにくちづけするだろう」(谷川俊太郎)

皆さま、こんばんは。

 

じめじめした日が続いていますね。いかがお過ごしでしょうか。

昨日は職場の湿度が90%に達していました・・・!

これでは頭の中にもカビが生えそうです・・・。

 

カビと言えば・・・

私が愛用している水原秋櫻子の編になる『俳句小歳時記』(大泉書店)には、「パン黴びて朝の欠食いさぎよし」という金子 潮の句が載っています。

私が暗記している数少ない句です(笑) ユーモラスでなかなかいい感じでしょう?

もちろん「黴」はちょうど今頃、初夏の季語です。

 

さて、先日 新刊本コーナーで谷川俊太郎さんの詩集を見つけました。

集英社文庫の『私の胸は小さすぎる』という書名です。

谷川さんはデビューから60年以上にわたり現代詩をリードしてきた方で、

その膨大な詩業から恋愛詩に絞って96篇を選び抜いたという本です。

 

そう言えば、谷川さんの詩は教科書やアンソロジーで読んだ程度で、まとまった作品群を読むのは今回が初めてでした。

 こういう時は、期待と不安が半々なのですが、今回は期待通り・・・いや、期待以上でした。

 

今回の記事のタイトルは「詩」という詩の最終行です。

最終行に至るまでの過程を踏まえなければ、この言葉は生きてこないのですが、本書で最も印象深い箇所だったのでタイトルに掲げた次第です。

 

「どうして一緒にいるんだろう/愛なんててれくさい」(p203)と言いつつも、

「帽子をかぶらずにぼくをふりむいておくれ」(p75)と願ってしまう。

おそらく、どちらも本心からの想いでしょう。

そして、詩人はそれを言葉として定着させる。

 

数多の想いが重なり合って1冊の詩集がうまれます。

だから、ほんとうは想いの数だけ詩がある・・・。

 詩を書かない人も、詩の卵を抱いていると言えるのかも知れません。

 

そんなことをぼんやり考えつつ・・・谷川さんの他の詩集も読んでみたいと思っています。

 

筆写に思う

皆さま、こんばんは。

先日、公共図書館へ司書関連の参考文献を借りに行ったのですが、

そのときに本居宣長に関する本が目に留まったので併せて借りました。

吉田悦之著『日本人のこころの言葉 本居宣長』(創元社・2015年)という本です。

本稿は、本書を読みながらつらつら考えたことをまとめてみたものです。

 

※余談ですが・・・私は創元社と聞くと独特な装幀の創元選書を思い浮かべます。

古書店で見ると一目でわかりますね。小林秀雄の訳になる『ランボオ詩集』や柳田國男『雪国の春』など、良質のラインナップだったようです。いい時代だなぁ・・・。

 

さて、宣長が(あるいは当時の人々が)、とにかく頻りに筆写をすることに改めて驚嘆せざるを得ません。

 

宣長も契沖の『古今余材抄』(『古今集』の注釈)や『勢語臆断』(『伊勢物語』の注釈)などを次々に筆写しています。

 

彼らは、1冊の書物を始めから終わりまで、文字通り徹頭徹尾書き写すのです。

そして、これが学問の出発点でした。

 

「当時の印刷技術を考えたら書き写すのが当然ではないか」と思う方もおられるかもしれませんが・・・

いや、しかし、筆写には現代人が忘れ去った偉大な効能があると思うのです。

 

現代の学問・研究、たとえば歴史学でAという人物を扱う場合、その著書を筆写するなどということはまずあり得ないと言ってよいでしょう。

誰もそのようなことは考えないはずです。

 

そんなことをする時間があったら、一次史料を調査したり、先行研究(論文)を読んだり・・・といったことに時間を割くでしょう。

論文を書くことができなければ、その研究は無価値である、ということです。

さらに言えば、その研究成果が自身の収入に結びついていかなければなりません。

(昔の人は1冊の書物を出版するために、本業を別に持ちながら学問に没頭しました。

その善し悪しはさておき、現在の学者とは大きな違いがありますね)

 

では、筆写の効能とは何か。

いろいろと考えられると思いますが・・・

筆写とは身体的な営為である、ということはひとつ注目されてよいと思います。

頭で考えるよりも、まず、手を動かす。

 

そういえば、私は学生時代に読書ノートを作っていました。

さすがに1冊の本の全ページを書き写すことはありませんでしたが、

気になった箇所などはキャンパスノートに10ページほど筆写することもありました。

 

このような営みは地味ですが、著者の筆致に自分の思考が添うような心地よさがあります。語彙、文体、構成・・・いろいろなことを自然と学んだのだと思います。

 

学問の第一歩が「筆写」であった時代が羨ましい、そう思います。

 

★     ★     ★     ★     ★

 

私は写本を眺めるのが好きです。

書いた文字そのものが美である。

これは不思議なことかもしれません。

書道というものが横文字語圏にあるのか私は寡聞にして存じませんが、

筆文字(とりわけ連綿のかな文字)の美しさはちょっと言葉にはできないものがありますね。

 

平易なことばに溢れる詩情

皆さま、こんばんは。

こちらは先ほどから小雨です。

 

さて、昨日は品川まで出張に行って参りました。

進研アド主催の「Betweenセミナー」です。

 

テーマは、大学改革期を走りきる学生募集の中期戦略
~心を掴む情報開示で大学のブランディングを~ 
でした。

 

その詳細は別稿に譲るとして・・・

今夜は品川までの道すがら読んでいた詩集について少し書いておこうと思います。

 

お供は『吉野弘詩集』(岩波文庫・2019年)です。

 

再読だったので、気に入った詩に鉛筆で印を付しながら読み進めました。

 

140篇の詩を採録しています。

その中に、長女に向けて書かれた「奈々子に」という詩があります。

 

「お父さんが

 お前にあげたいものは

 健康と

 自分を愛する心だ。

 

 ひとが

 ひとでなくなるのは

 自分を愛することをやめるときだ。」(同書p30-p31)

 

詩の途中に出てくる一節です。

 

「ひとが/ひとでなくなる」・・・

そういう非常に辛い経験をしたことのある人の書く詩なのだと思いました。

経験の裏打ちがある言葉・・・という感じです。

 

それから・・・

多くの現代詩に見られるような抽象的で難解なものではなく、

ごくありふれた日常を出発点としているところに吉野さんの詩の特徴があると言えるかもしれません。

 

穏やかな抒情性も好きです。

 

平易なことばで詩を紡ぐということは、

必ずしも平易なことではない、そう思います。 

 

また、吉野さんを「祝婚歌」という詩でご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

 

「二人が睦まじくいるためには

 愚かでいるほうがいい

 立派すぎないほうがいい

 立派すぎることは

 長持ちしないことだと気付いているほうがいい[後略]」(同書p183)

 

こういった言葉が生まれてくる源泉はご自身の経験からなのでしょうか。

そうだなぁと読んでいて納得している自分がいます。

 

人の心を打つ詩歌には「実感」があると改めて思うのでした。

 

 
 

神奈川近代文学館の思い出

先週、久々に訪れた神奈川近代文学館は私にとって思い入れのある文学館です。

 

と言うのも・・・学生時代に、武者小路実篤が開設した「新しき村」を卒論テーマとしていました。

 

同館には「新しき村通信」等の貴重な一次資料が保存されており、複写のために通っていたのです。

 

最寄駅は元町・中華街駅ですが、当時住んでいた埼玉からは東武東上線の直通電車があったので、乗り換えの必要がなく、大変便利でした(ただし、時間は1時間半ほどかかりました)

 

文学館の入り口に置いてあるチラシで、吉井勇記念館(高知県)や佐藤春夫記念館(和歌山県)の存在を知り、いつか行ってみたいと思うようになりました。

 

また、調布市にある武者小路実篤記念館にも「ニウス」(ニュースの意)を筆写するために通っていました。(もちろん、国立国会図書館にも)

 

 何もかもが懐かしく思い出される今日この頃です。

 

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神奈川近代文学館(江藤 淳 展)

企画展 没後20年 江藤淳展 @神奈川近代文学館

みなさま、こんばんは。

 

今日は小雨のなか、横浜の「港の見える丘公園」内にある神奈川近代文学館へ行ってきました。 

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あじさい@港の見える丘公園

企画展として没後20年になる批評家 江藤淳(昭和7-平成11)を取り上げていました。

 

私は、対談集を除くと単著としては『占領軍の検閲と戦後日本 閉された言語空間』くらいしか読んだことがなかったため、「どのような生涯を送った人なのだろう?」という好奇心もありました。

 

時系列順に資料が展示され、必要に応じて解説が施されており、その為人を知るには十分な企画展でした。

 

 母 廣子の写真が展示されていましたが、なかなか凛々しく、海軍少将の次女ということにも合点がいく感じがしました。結核のため27歳で亡くなったそうです。

 

少年 江藤の喪失感を癒した詩人として伊藤静雄(明治39-昭和28)の「夏の終り」が紹介されていました。

 

彼の詩は青空文庫岩波文庫で読むことができます。

 

やはり私は「わがひとに与ふる哀歌」の中の「曠野の歌」が忘じ難く記憶にとどまっています。

「わが死せむ美しき日のために
 連嶺の夢想よ! 汝(な)が白雪を
 消さずあれ(後略)」

 

一度読んだら忘れられないようなインパクトのある詩句でした。

 

さて、最愛の妻 慶子に先立たれた江藤は、自分が無意味に存在している感覚に襲われてしまいます。そして、軽い脳梗塞をおこして入院・・・。

 

そのような精神状況のもとで執筆された「妻と私」、そして絶筆となった「幼年時代」。

私はこれらの作品は未読なのでこれから読んでみようと思います。

 

脳梗塞の発作に遭(あ)いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず」という遺書の中の一文がなんとも痛ましいものでした。

 

『閉された言語空間』のイメージしかなかったのですが、この企画展のおかげで江藤淳という人物の輪郭が見えてきた気がします。文学館の楽しみはこういうところにもあるのですね。