記憶の汀

~大学図書館司書のとりとめのない日々のこと~

暇は潰してはならない

皆さまこんばんは。

 

今月は断捨離をしています。

カバン、衣装ケース、ハンガー、床のコロコロ、便箋、ブックケースなど。

古くなっていたり、貰って使っていなかったり・・・そういうものはこの際すべて手放す。

欲しいものではなくて、必要なものを買うように…。

 

こうやって部屋を片付けていたら良い?アイデアが浮かびました。

 ↓

昨日、机上からノートパソコンを撤去してみました。

隣の部屋の見えないところに置いてみます。

必要なときだけ持ってくるようにします。

デジタルデトックスみたいな感じ?

やってみるとけっこう清々しいですね。

スマホもなるべく見ないようにしてみます。

スマホも使わないときは隣の部屋に。

以前どこかの本で読んだのですが、たとえ電源を切っていたとしても、視界にPCやスマホがあると脳が勝手に「新着通知が来ていないかな?」などと情報処理を行ってしまうそうです。

視界に入らなくなってから、なんとなく雑念がなくなったような気がします。

 

 

暇な時間があるとついついYouTubeを見てしまう。

私にこんな習慣ができてしまったのは、COVID-19が流行して緊急事態宣言が出された頃でした。

「おうち時間」なるフレーズを目にするようになったのもこの頃かもしれない。

以前は、YouTubeなんて年に数回見る程度だったのにな。

 

YouTubeSNSも基本的にはタダで使うことができる。

暇つぶしにはちょうどいい。

 

でもさ、さっき風呂場で思いついたんだ…

暇を潰してはならない、というアンチテーゼはどうだろう?

 

暇な、空っぽな、真っ白な…

そういう時間こそほんとうに豊かな時間なのかもね。

 

この記事を書き終えたら、PCは隣の部屋に戻します。

それでは、また。

捨てる、捨てる、捨てる

皆さんこんばんは。

9月になりました。今日は少し涼しい一日でした。

 

断捨離。衣装ケースをすべてチェックして、着古した服(私服とワイシャツ)やたくさんあって使わないタオル類を捨てました。

タオルは窓拭きに使ってから処分。

75リットルの袋がいっぱいになった…!

衣装ケースもひとつ捨てます。

 

使わないカバンも手放す。

押し入れの中が片付いてすっきりしました。

素晴らしい。

 

モノはノイズになりがち。視界に入ると疲れるんだよね…

なるべくモノを持たない生活をしたい。増やしたくない。

こういうふうに生活スタイルを自分で決めることができるのも一人暮らしのメリットかな。

雑感

皆さまこんにちは。

今日は休暇。まだまだ暑いですね。

 

*     *     *

 

父の友人のHさんが毎週、無農薬野菜とともに置いていく農園報。

次の一節が目に留まりました。

「日本人は、専門家を認める時に職業としているかどうかで判断することが多い」

 

*     *     *

 

学生時代に特に親しんだ歌人は、与謝野晶子・山川登美子・吉井勇の三氏でした。

人の世を源氏の君も厭ひにき われの厭ふをとがめたまふな(吉井勇

 

*     *     *

 

Money Forward MEという家計簿アプリをPCで使用しています。

今年は有料版(年額5,300円)を使っていたのですが、有料機能をそれほど活用していなかったので先ほど無料版に戻しました。

これも固定費削減の一環。

 

*     *     *

 

新しいNISAが始まりますね。

より長期的な非課税投資が可能に。

最近、株にも少し興味が出てきました。

「最近はカタツムリを見ないわ」

こんばんは。毎日暑いですね。溶けそうです。

 

皆さんはイライラしたり怒ったりすることはありますか?

私はもともとあまり怒らないたちだったのですが(母親譲りかな)、最近はイライラすることもめっきりなくなりました。

 

こういう言い方をすると冷たい人だと思われるかもしれませんが、私はどうやら周りの方に比べて”他者への関心”が薄いようです。

嫌なことや気に入らないことがあったとしても、どうせ人間は長くても100年くらいしか生きられないのだから…と流してしまいます。

ほんともうどうでもいいんだわ、いろいろと。(別に自暴自棄になっているわけではありません笑)

ぜんぶまともに受け止めようとするには、現代はあまりにも複雑すぎると感じます。

ふとした拍子に「生きづらさ」を感じてしまうかもしれません。

周囲に迷惑をかけない程度に、どうでもいいという姿勢で生きていく。

 

*     *     *

 

力の抜けた短歌もいいと思うようになりました。

この前帰省した時に母が言っていたセリフをほぼ原文ママに笑

 

最近はカタツムリを見ないわとゴミを出す朝に母がつぶやく

(『塔』2023年7月号より)

 

自分に短歌という生き方があってほんとうによかった。

歌集いろいろ

みなさまこんにちは。

最近、歌集と句集をずっと読んでいました。

以下、備忘。

 

阪森郁代『パピルス

「著者は塚本邦雄門下の俊秀。この端麗な詩の森をさまよつてしばし時を忘れるがよい」という岡井隆の帯文がついている。

「帰り来て部屋に聴きをりしろがねのたぐひまれなる月の余韻を」

 

実作してみるとわかるのだが、俳句と短歌はまったく異なる生理が働いている。

正木ゆう子『夏至

「星月夜わが身も消ぬと思ふまで」

「水神を女とおもふ春うれひ」

「名は忘れ香水赤き瓶とのみ」

「涼しさをいへば涼しく振り向かれ」

 

片山由美子『香雨』

「あけぼのや春の音とは水の音」

「一日の終りの祈り冬薔薇」

「ふくれくる涙に映る若葉かな」

「香水をえらぶや花を摘むごとく」

「すみれ色時といはむや春夕べ」

シクラメン窓辺の花と思ひけり」

 

長井亜紀『すみれ』

2022年5月に甲状腺がんで亡くなった「古志」同人の著者、遺句集。俳句の愉しさを思い出させてくれた。ほんとうにいい。書名となった素敵な句はこちら→「そのときは菫となりて君のまへ」他にも趣深い句がたくさんあった。

「紅椿はわが恋の色くちびるに」

「桔梗やうごかぬ指のいとほしく」

「日をあびて木の実のなかで眠りたし」

「どこまでが空どこまでが海夏の恋」

「花ふぶく花のいのちの澪つくし

 

田江岑子『鑿を研ぐ泉』

著者は1925年(大正14年)生まれ。三鷹古書店で購う。署名入り。100円だったが、Amazonでは高値で取引されている。思いがけず好きな作風の歌に出会った。

「水の辺に蝶を追いいきどこまでも午前の光ははなだいろなす」

「貝殻はいのちあらねど母を恋うこころ通いてわが掌に鳴るや」

「帰りなとやさしかれども透きとおる水のごとくにさびしと思う」

「風ねむる午後と思えど待つこころ桔梗の花のいろほど冴えて」

「月も芒も言葉を持たぬうつくしさ汝が抱擁の迷いもあらず」

「ブラウスに風孕む野よまろびつつ薄荷の匂う脣重ぬ」

 

横山未来子『とく来りませ』

歌誌「心の花」選者。『とく来りませ』は、讃美歌94番の歌詞〈久しく待ちにし主よとく来りて〉が元になっている。

「水に触るるごとくかをりにふれて見る薄日のなかの梔子の白」

「ひとのをらぬ部屋に入りて水仙のかをりのなせる嵩をくづしぬ」

「室内にちひさき光とどきゐていづくにか冬の水の揺れをり」

「いくつかの冬を眺めてしづかなるこころ持ち来つこの木の椅子に」

「点描の朝焼けの海追憶はひかりのなかへ散りゆくものか」

 

原慎一郎『滑走路』

遺歌集。夭折が惜しまれる。

「きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい」

「われを待つひとが未来にいることを願ってともすひとりの部屋を」

「小説の時代だけれど俺たちでなんとかしようぜ。絶対にな」

「今日という日もまた栞 読みさしの人生という書物にすれば」

「遠くからみてもあなたとわかるのはあなたがあなたしかいないから」

「いつまでも少女のままのきみがいて秋の記憶はこの胸にあり」

「非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている」

 

数年ぶりに河野さんの歌集をきちんと読みたいと思った。

河野裕子『歩く』

1996〜2001年までの作品493首を収録した第九歌集。 歌集後半には、自身の病いを知ることとなる。 文体はいよいよ平明さを増してゆく。第12回紫式部文学賞、第6回若山牧水賞受賞。

「さびしさよこの世のほかの世を知らず夜の駅舎に雪を見てをり」

「白萩に白萩こぼるるひるつかた遠くまで陽が照り追憶に似る」

「夕ひかり静もり翳りてゆくなかにひとつしらうめ瞬きにけり」

 

河野裕子『母系』

母の死、そして自らの病を見つめた第十三歌集。ここにはひとつだけ挙げておく。いいなと思う歌がたくさんある。

「遺すのは子らと歌のみ蜩のこゑひとすぢに夕日に鳴けり」

 

河野裕子『葦舟』

再発した癌と正面から闘い歌を作り続ける著者の、迢空賞を受賞した『母系』に続く第十四歌集。

「誰からも静かに離れてゆきし舟 死にたる母を葦舟と思ふ」

「家、財産よりも大事なひとがゐることが大事、真水のやうな娘のことば」

「葉を描くにみどりの絵の具は要らないと絵を描く姪が教へてくれぬ」

「はつかなる風のあるらし陽の方(かた)へさくら花びら透きつつ流る」

 

河野裕子『蝉声』

死の前日までの427首を収録。そういえば私が塔に入ろうと思ったのは河野さんの歌集がきっかけだった。大事な歌集だ。

「冬枯れの日向道歩み思ふなり歌は文語で八割を締む」

「水の面に落花してゆく夕桜白く透きつつあはれにぞ見ゆ」

「みちのくに白コスモスを見たる日は健やかなりき君の傍へに」

「みほとけに縋りてならずみほとけは祈るものなりひとり徒(かち)ゆく」

「わが知らぬさびしさの日々を生ゆかむ君を思へどなぐさめがたし」

「カーテンのむかうは静かな月夜なり月のひかりにぬれつつ眠る」

「さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ」

「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」

・・・こういう真に充実した短歌にこれからも出会いたいと切望する。

もうすぐ七月

皆さまこんにちは。

最近、ブログを更新せずに何をしていたのか…というとずっと短歌を作っておりました。

今月は短歌関連の書籍を40冊くらい?購入。

歌集とか辞書とかもろもろ。栄養補給です。

 

そういえば、若者を中心に短歌ブームが来ている…なんて耳にします。

実際はどうなんでしょうね。

SNSの短文投稿(Twitterとか?)と相性が良いのかもしれません。

言葉に興味を持ってくれる人が増えるといいな。

 

ブームであろうとなかろうと…私は淡々と歌を詠んでいきます。これからも。

桜の俳句たち

皆さまこんにちは。

今年はお花見をされましたでしょうか。

私は職場にたくさん桜があるので毎日眺めています。

 

学生時代から句集を読んで気に入ったものをエクセルに入力しています。

今日は私が出会った桜の句をざっとご紹介します。

 

さまざまの事思ひ出す桜かな(松尾芭蕉

 

夕闇や枝垂桜のかなたより(芥川龍之介

 

夜桜も故郷の道も恋しけれ(竹久夢二

 

夜桜やうなじの冷えも玻璃のなか(玖保律子)

 

逝く空に桜の花があれば佳し(北桃子)

 

月なくて葉桜は燈をいつくしむ(宮津昭彦

 

家中のしんとしてゐる桜かな(森賀まり)

 

いつかふたりいずれひとりで見る櫻(黒田杏子)