記憶の汀

~大学図書館司書のとりとめのない日々のこと~

司書:図書・図書館史(レポート)〔司書8〕

こんにちは!

今日は私が受講した年度の「図書・図書館史」レポートについて書いていきます。

 

<設問>

日本または西洋のどちらかを選び、それぞれの時代(古代、中世、近世、近代以降)の図書館発展の特徴をコンパクトに要約し、かつ私見(400字程度)を述べてください。

 

<回答作成のポイント>

1.日本or西洋 → 一方を選択する。自分が知識をもっていて、書きやすいと感じる方を選べばよい

2.古代 → 中世 → 近世 → 近代以降:これらの順を追って時系列で記述する

3.何を記述するのか? 図書館の発展の歴史

4.私見:レポートの最後に私見を付記する → 3で記述した発展史を踏まえて、自分の意見・見解を書けばよい

 

<レポート>

1.はじめに

 本稿では、日本における図書館の歴史について、古代・中世・近世・近代以降という区分ごとに概説を述べたうえで、今後の図書館の発展について私見を述べる。

 

2.日本における図書館の歴史について

①古代

 わが国に漢字と書物がもたらされたのは、4・5世紀頃とされ、仏教の伝来も同時期であった。また、高句麗の僧曇徴により、絵の具・紙・墨も伝えられた。貴重であった仏典や文献は保管のために経典専門の書庫である経蔵へ納められた。なお、経蔵の利用者は僧籍関係者に限られていたと考えられている。

 そして、大化の改新によって律令国家が形成されると、行政は文書を中心に行われるようになった。図書寮は、こうした行政に係る文書や木簡等を収集保管するための機関である。当時は今日のような印刷技術がなかったため、伝来した経典の複製のために写経が行われた。写経所を諸所に設置するなど、国家を挙げて写経が奨励され、信仰の増進と学問の発達のために大いに寄与した。さらに遣唐使の廃止に伴って、国風文化が芽生え、『伊勢物語』・『枕草子』・『源氏物語』などの文学が発達し、貴族の間では学問研究のために邸内に文庫を設ける者もあらわれた。

 

②中世

 鎌倉時代に入ると貴族にかわって武士が台頭し、いわゆる封建制度が整えられた。印刷出版の方面では、版画の原理を思わせる「整版」という技術が登場し、近代の活字があらわれるまで印刷文化の興隆に貢献した。また、平安時代までは図書の利用者は貴族や僧籍関係者を中心としていたが、武家の文化が成立することによって、中央の文化が地方へと拡散していくことになった。たとえば、鎌倉時代中期に創設された北条実時の「金沢文庫」は、政治・法制・軍事・文学など幅広く書物を収集していた。この「金沢文庫」の利用者は僧侶等が中心であったようで、現代のような公開的な図書館ではなかったが、漢籍や国書など広範囲の収集は関東における文化のメッカであり、わが国の図書館史上で際立った存在である。

 さらに室町時代には、現代に残るわが国最古の学校といわれる足利学校が創建された。戦乱の世にあって、武家への助言者を養成する機関であった。武人からの図書の寄進も多く、易学を中心とする儒学関係の典籍が豊富であった。実際の利用については、貸出禁止・閲覧は1冊に限定・書き込みや切抜きの禁止・季節ごとの本の手入れ等の規則が設けられていた。

 

③近世

 徳川氏が天下統一を果たした江戸時代になると、儒教を精神的バックボーンとした政策により、中世的な分権的封建制から集権的封建制へと移り変わっていった。これにより比較的天下泰平の時代となり、

幕府が学芸を奨励したこともあって、一般庶民にまで文化が広がっていった。このような文化の発展に伴って、今までにはなかった商業出版が営業として確立した。読書人口の増大により、書籍を出版・販売する書肆が誕生し、さらに読書人口が増えていくという好循環ができた。これにより大衆読者がうまれ、図書館的な機能を果たす貸本屋も登場した。また、徳川幕府の文庫としてわが国最初の官立図書館というべき「富士見亭文庫」が江戸城内に設けられたが、一般公衆の利用は考慮されていなかった。この「富士見亭文庫」には三代将軍家光の頃に書物の管理を担当する「御書物奉行」が置かれ、今日の司書のような役割を担った。その他には、大名の文庫として蓬左文庫・南葵文庫・尊経閣文庫などがあり、朝廷や公家の文庫としては、東山御文庫・陽明文庫・冷泉家文庫などが設けられた。また、教育関係では、「昌平坂学問所」が設置され、全国出版物改めにより一種の納本制度が取り入れられていた点が注目される。

 

④近代以降

 明治維新以降、西洋を手本とした諸政策が実行されていったが、図書館についてもその例外ではなかった。福沢諭吉の『西洋事情』により、欧米諸国の図書館の事情が紹介され、わが国の図書館の近代化がスタートした。市川清流や田中不二麻呂などの先覚者によって図書館設置の重要性が提言され、明治5年にはのちの国立国会図書館の源流である書籍館が発足した。この書籍館明治13年東京図書館と称せられ、このとき初めて図書館という名称が用いられた。さらに明治30年になると帝国図書館と改称され、蔵書数24万冊の近代的な図書館となった。

 さて、明治32年制定の「図書館令」では閲覧料の徴収が認められていたが、戦後のGHQがこの有料体制を批判した。そして図書館の民主化を進めるべく、昭和22年に「図書館法」が制定されることになった。同法は公共図書館について、閲覧料を撤廃し、司書の職務規定と資格、図書館奉仕など新しい図書館のあり方を提示した。そして、昭和38年にはいわゆる「中小レポート」が発刊され、市民サービスを念頭に置いた開かれた図書館像を模索していくことになった。

 

3.私見(図書館史を概観して)

 このたびわが国の図書館史を概観して、現代の私たちの身近にごく当たり前のように公共図書館が存在し、無料で利用できるということは非常にありがたいことであり、これまでの図書館の発展のために心血を注いだ先覚者たちがいたことを記憶に刻んでおこうと思った。

また、図書館(文庫等)は時代によって様々な役割を担っていたが、今日の図書館はこれまでの時代のあらゆる役割を網羅するような施設になっているのではないかと考えた。書籍の収集保管に始まり、教育的施設としての側面、一般市民の娯楽としての側面など多彩であるからだ。そして今後は、有形の書籍に加えて新たに電子媒体の書籍が加わったり、生涯学習の拠点のひとつになったり等、よりサービス面の充実が期待されている。そして時代の対応に追われるだけではなく、図書館あるいは司書自身が時代を先取りするような先見性をもって、図書館の新たなサービスを主体的に創造していくことが求められる時代にあると考える。

 

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