記憶の汀

~大学図書館司書のとりとめのない日々のこと~

『塔』2021年6月号から②「大切なことは言葉にせぬままに」

みなさまこんにちは。

そろそろ夏休みの予定を考える頃でしょうか。

6月号の続きです。

 

朧月ひとつの季節を終わらせて静かな春を見おろしている(北山順子)

>こういう擬人法って素敵だなぁ。朧月の薄絹に隔てられたような柔らかな感じが上手く出ていると思う。

 

はじめから花には花の向きありて俯きて咲くクリスマスローズ(黒沢 梓)

>たしかに花にも向きがある。発見を詠むのも楽しい。たとえば、かたくりも俯いて咲く花だ。

 

あかるさはときにさびしいたくさんの手紙を書いてもやはりさびしい(澄田広枝)

>時として、あかるさはさびしい感じを与える。たとえば、真っ白いあかるさとか。たくさん手紙を書いても、さびしいという。満たされることのない、何かがある。

 

童謡の春の小川のような川失せて河川改修終る(林田幸子)

>河川改修で川辺の生き物が死滅するという話をよく耳にする。下記のブログで、多自然型河川改修という言葉を知った。

https://ameblo.jp/ariakekaijuku/entry-12265140738.html

 

成長はいつかは止まるべきものを経済だけは永遠という(山﨑大樹)

>今回のコロナ禍で、感染症の拡大防止と経済のどちらを優先させるか・・・ということが議論になる場面が見られた。「成長を止めるな」というのは、その良し悪しはともかく拡大再生産という資本主義の宿命である。資本主義はその原義において、現状維持や停滞を許さない。資本主義に代わる新しいシステムを模索する人もいるのだろうか。

 

ハイヒールよく履いていた先輩がぺたんこぐつを履くまでのこと(山名聡美)

>物語性とおかしみが同居している。続きの話を聞いてみたい、そんな気持ちにさせられる。

 

かなしみの色のトーンの似るひとと午後のテラスに詩集を交はす(長澤ゆり子)

>人間には相性・波長のあう人、というものがあるようだ。

 

あんぱんもおへそを持つということのさみしさ 春はあんなに遠い(はなきりんかげろう)

>そう言われてみると、さみしいなぁという気持ちになるから不思議だ。「みんなもう忘れてしまう追伸を書き損なった手紙のように」これも同じ作者の歌。

 

たい焼きは配りて皆と食うがよし腹より温き餡子の零る(佐竹紀明)

>この歌に接して、高校生の頃の出来事を思い出した。ホームルームの時間に、学校の隣にある国分寺公園でレクリエーションがあった。その際に担任の先生が、クラス全員分のたい焼きを買ってきてくれた。ポケットマネーで。冬の夕方、だんだん陽が落ちていく中で食べたたい焼きのうまさと言ったら。まさしく「配りて皆と食うがよし」である。「腹より温き」というのもさりげないが、実感がこもっていて共感を呼ぶ。

 

君は野の水仙を摘み瓶に活けたをやかな掌〔て〕で頬笑み見つむ(広瀬 守)

>摘んで、活けて、ほほえんで、見つめる。一首のなかにたくさんの動詞がちりばめられている。それぞれがそっぽを向いて独立しているのではなく、一首を通してゆるやかなつながりが生まれている。なめらかな動きをさっと写し取っている作者の観察眼にも注目。

 

まどろみつつ聞く雨音のかそけさよ恵みのごとき午睡におちる(石丸よしえ)

>昼寝ってきもちがいい。かすかな雨音がBGMになってくれればなお良い。

 

書き終えてチョークを君に手渡した真昼のさみしさも束ねつつ(近江 瞬)

授業中の廊下で君とすれ違う夏の逃げ水みたいな君と(同上)

>ともに青春の歌として共感を呼ぶと思われる。「夏の逃げ水みたいな君」という表現が秀逸だと思った。

 

図書館に行く楽しさと淋しさと一生かけても読みきれぬこと(株本佳代子)

>統計によると、毎日200冊程度の本が出版されているそうだ。もちろんそのすべてが図書館に入るわけではないが、相当な数の本が配架されることが推測できる。私も読みきれぬ淋しさを感じることがある。すべて読破するには私たちの人生はあまりにも短い。また、最近は1冊の本の寿命が短いという話も耳にする。出版社は新しい本をたくさん出さなければなかなかお金が入ってこないとも。濫造といえるのかもしれない。自分にとって真に読むべき本を見極める眼力を養いたいものです。逆説的になるが、そのためにはある程度の多読の期間が必要だと思うが・・・。

 

大切なことは言葉にせぬままに吾子と菫の咲く道をゆく(森 雪子)

>言葉にしなくても伝わることもある。我が子との時間の共有、それ自体が大切なこと。なお、老婆心ながら付け加えておくと、吾子は「あこ」。こういう言葉は慣れている人にとっては何ともないが、読めない人も多いかもしれない。日常語というよりは詩語に近い言葉だから。

 

友情のメンテナンスをするために雨がささして駅に向かひぬ(谷 活恵)

>雨傘が人を寄せつけないようなよそよそしさを漂わせているように感じた。現代的な雰囲気のある歌だと思った。メンテナンスをしなければ維持できない関係は、果たして友達と呼べるのだろうか、などと考えつつ。義務感で行うメンテナンスだったら嫌だなぁと。私自身はそんなことまでして交友関係を保とうとは思わない。来る者は拒まず、 去る者は追わずという姿勢がいい。友達の数が多い方がいいという風潮だが、どうだろうか。私はいささか首肯しかねるのだが。自分が大切にできる他者のキャパシティーを把握しておくことが大事。

 

おおかたは一人暮らしのアパートの一つ一つの部屋が灯って(杉田菜穂)

>そこはかとなくさみしさが漂う。だが、そもそも生きるということはさびしいことなのだ、という観点もある。文学のよいところのひとつは、世間の常識にとらわれずに思考実験ができること。生まれたその瞬間からさびしさは始まっている。アパートの一部屋一部屋がセル(cell)のように感じる。私もその一つなのだが。